2013年10月14日月曜日

術後3ヶ月

傷口はまだまだグロイ 喉のつっぱり違和感もある。チラーヂンの量が少ないのか?食べ過ぎなのか、体重が90キロを超えてしまった。体温が低いし基礎代謝が低いと思うから、甲状腺機能低下症があるのだと思う。低下症の場合、食欲の低下もあるらしいのだが欲という欲は全てあるし、煩悩の塊のようだ。

2013年9月16日月曜日

術後2ヶ月

台風の接近で警戒を呼び掛けるテレビ 数十年に一回あるかないかの大雨になると言っている。 甲状腺を全摘出して2ヶ月目の朝を迎えた。 大学付属病院での放射性ヨード治療を終えてから3日間 頭痛 腰痛 倦怠感 不眠 体重増加など体調不良にみまわれてしまっていたが、今朝はまぁまぁな体調である。甲状腺ホルモン低下で様々な症状がでたのだと思うが、チラーヂン再開して直ぐに効果が出ないというのも納得した。傷口はまだまだグロイ

2013年9月14日土曜日

放射性ヨード治療後

終わってしまえば、あっという間 でも長い5日間であった。 9時までに病院に入るように外来の看護婦から話があったので、受付開始時8:30くらいに病院に入った。外来の患者さんで溢れてる感じだ。入院受付し5階西病棟に行くように言われナースステーションにむかった。座って待つように促され待合スペースでゲームをしながら待っていた。なかなか担当者が来ない。15分待っただろうか、、おとなし目の看護婦が来た。別室に案内されまたして待たされた。持ち込みの物のリスト書き、ナースステーションに置く持ち物のリスト書き、注意事項説明、栄養士との面談、いずれも待ち時間が半端ない。風呂に入り また待たされ、しっかり湯冷めしRI病室に入ったのが1:30だった。たしか、1時に吐気止めの薬を飲み、2時に放射性ヨードを飲むはず、、看護婦に確認したら今から飲んでもらいますって、、何だよまったく、、早く来る必要があったのか? まったく、、イラついてしまった。 いよいよ本番 放射性ヨードを飲む 若い男の医者と担当医の女性医者ともう一人の女医が部屋に入ってきた。厳重な容器からピンセットでカプセルを取り出し俺の口に入れた。1ケと思っていたが、2カプセル飲んだ。ペットボトル2本の水で飲めと言うからいっきにいれるのかと聞いたら、それでは吐いてしまうと医者が言うし、看護婦とは話が違うし、、この病院は不親切 言葉が足りない またイラっときた。 これから俺の体がどう変化していくのか、不安な時間を過ごす。同じ位置に薬があると炎症をおこすかもしれないと言うからゴロゴロし右左上下と2~3分毎体勢をかえること2時間 確かに一時的に違和感があったが、水分をとりながら乗り切った。夕飯の時間 インターフォンで看護婦がメニューの説明、量はどうしますか?と聞いてきた。お腹が空いてたし「全部お願いします。」と返した。隣の部屋に届いているみたいだが、看護婦のコールを待ってから取りに出る。使い捨て容器に入った冷めた飯だった。全て食べ、食器をビニール袋に入れ縛り名前を書いて元の位置に持っていく。夜を迎える。何か変化があるのだろうか?監視カメラが24時間俺を見張っている。枕元のライトを点けていなければならないから明るくて寝れたもんじゃない。それでもウトウトはできた。1時間位は寝れたか?その繰り返しで朝を迎えた。唾液腺に集まるかとは多少思ったが一時的に感じたがそれも何ともない。朝のコール 体調を聞いてきたが大丈夫と返した。 主治医の回診 「首の腫れは無いですか?」「何ともないです」返す。朝食を食べ退屈な一日を過ごす、、、ペン習字 写経 テレビ このサイクル 夕方のシャワー 退院日を迎えた。朝が忙しい 朝食後シャワーを浴び パジャマをピンクに代わった。シンチグラフィーの検査だ。1時間半と長い時間の検査だ。身体を固定されて動かないようにしている。長い時間が過ぎた。検査が終わり起き上がったら。目眩がした。頭痛が酷い。何なんなんだ?直らない、、退院手続きを済ませ病院をあとにした。食欲無いがラーメン屋に入った。海鮮旨煮ラーメンというのを食べた。旨い!心から声が出た。 参考までに http://harecoco.net/radiation/index.html

放射性ヨード治療前日

明日から5日間の入院でアイソトープ治療を行う 3.7GBqの放射性ヨード131を内服する治療だ。チラーヂンを中止してほぼ一ヶ月が経過しようとしているし、ヨード制限食も2週間となった。身体が非常に怠いし、眠いし、やる気がおきない。元々悪い腰痛が疼くような感じがして気持ち悪い。頭の回転が良くないと自分でも感じる。これが甲状腺ホルモン低下していることによる症状だと思うが、キツイ 入院の案内書に目を通し、明日からの準備しないといけないんだが、、

2013年8月15日木曜日

術後1ヶ月

早いもので一ヶ月 傷口はまだまだグロイ 痛さは無いがシャツにすれてヒリヒリする。皮膚が突っ張ってるので飲み込み時引っ掛かる感じがする。 手術して良かったのかどうか、未だ納得していない自分がいる。ヨード制限が12日からスタートしている。チラーヂンSからチロナミン朝夜1錠になった。その後朝1錠になり、放射性ヨード治療2週間前になると、0錠に食べ物の制限も始まる。

2013年7月31日水曜日

退院日

やっとこの日が来た。少し興奮したのかもしれない、傷口がヒリヒリ痛むし、隣の部屋のオヤジが引っ切りなしに痰を吐く音や、赤ん坊の泣き声があったりで眠りも浅かった。点滴も一晩中してた。血中酸素濃度のセンサーも取り付けてるし喉の圧迫もしてるし、、病人だからしょうがないか? 今5:30 まだ点滴も1/3ある バルブを開いて点滴を速める。7:00退院予定だから焦る 相棒6:20到着 帰る準備ととのえる。医者が来るの遅い 看護師に確認 7:20医者に処置してもらう 7:30退院 大学病院へ相棒の車でむかった。 今度行う治療の話を聞き、入院手続きを行った。 14:00前には自宅に着いた。やっぱり家は良い。ちょっとフラフラするけど何とか大丈夫かな?

2013年7月30日火曜日

術後12日目

一日で退院だ 昼から喉の縫合手術が待ってる。夜中に目が覚めてしまってiPadを小一時間してたが、その後また眠りについた時、久々に霊的な金縛りがあって身体が持ち上がった感じがあったが割と早めに解けて良かった 数匹の動物霊の感じだった。何を意味してるかは分からない? 6時に吉田さんが朝のチェックに入った。あと会えないと思ったので「お世話になりました」と言ったら。はにかみながらの笑顔で言葉数が少ない。この娘さんはおそらく、、、、、、と感じた。綺麗な顔してるのに笑顔に影がある。仕事が忙しすぎて、仕事以外の時間の過ごし方がうまくできていないのだと思うが、、まだ眠い 朝食後、普段と変わらないコース 診察は手術あるからと、挨拶交わしたような感じで終わった。しばらくして看護師が点滴するために入室してきた。「いつものより痛いです。」手術用の針は太いと言うのだ。しかし失敗しやがった。血管が膨らんできたと抜いて2回目刺した。体の穴の数がまた増えた。 昼飯抜きで待ってるが何時になるんだ? 喉の空気漏れが多くて痰がきれない。嫌になる 気になると益々気になる。 手術は14時からだと看護師が言いにきて、痛め止めの注射を肩にうっていった。この注射もかなり痛い 蜂に刺された感覚 また穴が増えた。 病室からストレッチャーに乗り手術室へ入った。部分麻酔だから会話が耳に入る。主治医が若い医者を怒っている声や看護師の不慣れさが真面にわかるから、不安感がまた出てしまう。あの時のICUを思い出した。1時間程で部屋に戻ったが4時間弱の19時までベッド安静の指示で、看護師は尿瓶を持ってきた。1人でやるにも看護師に補助してもらうにしても勘弁だから尿意を思わないようにし寝ていた。薬の性で頭は朦朧としてるから眠気も多少あるし時間経過は気にならない。ウトウトしている中医者が声帯の状態を確認したいということで処置室へ車椅子で向かった。若い医者が内視鏡を入れた。この作業はあまり腕は無いようだ。映像をプリントアウトしないまま電源を切ったのでまた怒られていた。今時の子供らに多い現象、、仕事の意味を理解しないで作業として覚えようとするから何回もミスをする。自分が教えている子供らとまったく同じ、、どこの業界でも日本の教育が間違っていた世代を背負っている。日本経済が右肩下がりなのがここからもわかる。 やっと、退院できる 今夜が最後だ。せっかく仲良しになった看護師と別れるのもちょっと寂しいが、家にはもっと寂しい思いをさせている相棒とニャーとリンもいるから、帰らねば、、、、忘れ物しないよう整理整頓してから休むことにしよう。 明日朝は相棒が6:30に来る。7:00退院し大学病院に9:30までに入ることになる。